2007年09月26日
アイザック・アジモフの栄光な人生
アイザック・アジモフ
Isaac Asimov
アイザック・アジモフ
Rowena Morrill画
筆名: アイザック・アジモフ
生誕: 1920年1月2日
ペトロビッチ
死去: 1992年4月6日(享年73(72歳没))
ニューヨーク州ニューヨーク市
職業: 作家、短編小説家、エッセイスト、歴史家、生化学者、教科書作家、ユーモア作家
ジャンル: サイエンス・フィクション(ハードSF)、ポピュラー・サイエンス、ミステリー、随筆、文芸評論
文学運動: サイエンスフィクションの黄金時代
処女作: 『Marooned Off Vesta』
影響を受けた: クリフォード・D・シマック、H.G.ウェルズ、スタンリー・G・ウェインバウム
アイザック・アジモフ( Isaac Asimov, 1920年1月2日 - 1992年4月6日)はアメリカの作家、生化学者。
非常に成功した多作の作家であり、その著作は500冊以上を数える。彼の扱うテーマは科学、言語、歴史、聖書等々非常に多岐にわたるが、特にSFおよび一般向け科学解説書、また推理小説作家としてよく知られている。長年にわたり、メンサの会員でもあった。
注記: 日本では「アシモフ」と「アジモフ」等の表記があり、前者での表記が一般的である。本人の望んでいた英語での発音は後者に比較的近いとされるが、日本語読みの「アジモフ」が英語原音と同一というわけではない( Asimov の発音については自伝に has-him-of のエピソードが掲載されている[1])。アシモフ自身が日本語仮名表記で「アジモフ」の表記を要求した事実はなく、日本ではアシモフの著作が紹介された当初から「アシモフ」の表記が定着している。アシモフ自身も言語の多様性を肯定していた
来歴
若き頃のアジモフ(1965年)アジモフはロシアのペトロビッチにおいてユダヤ系ロシア人イサーク・オジモフ(Исаак Озимов)として生まれ、3歳の時に家族とともにアメリカに移住、ニューヨーク・ブルックリンで育った。学業成績は優秀で公立校や高校を飛び級で卒業し、1939年コロンビア大学を卒業、1948年に同大大学院で化学博士号を取得した。在学中、結婚や第二次世界大戦の勃発により3年間休学、軍事研究施設での勤務や兵役を経験している(兵役時は危うくビキニ環礁での核実験に参加させられる所であった)。
学位所得後、ボストン大学医学部の生化学の講師となり、更に准教授となるが、1958年に執筆活動への傾倒から教壇を降りている。その後は専業の作家・講演者として大きな成功を収め、晩年にはかなり裕福になっていたが、本人は「書けなくなる事が一番恐ろしい」「贅沢やバカンスを楽しむ切符は他人にくれてやる」といった発言に見られるように、非常にストイックな作家人生を貫いた。
自伝の中で母語はイディッシュ語だと述べているが、イディッシュ語による作品は残していない。すべての著作は英語で行われた。
アジモフは人道主義者かつ合理主義者であった。純粋な信仰心に反対することはなかったが、超常現象や根拠のない思想に対しては断固とした態度を貫いた。飛行機嫌いも有名であり、その生涯で飛行機を利用したのはただ2度のみである。また狭くて閉ざされた空間をこよなく愛する閉所愛好家(閉所恐怖症の反対)でもあり、地下室や屋根裏部屋でタイプライターに向かう時間が無上の喜びであったと自ら語っている。
ほとんどの政治的問題においては進歩的な態度をとっており、民主党の強い支持者であった。1970年代初期のテレビのインタビューでは公然とジョージ・マクガヴァンを支持している。1960年代末葉以前、多くの進歩的な政治活動が不合理な政策の原因となったことは、彼にとっては不幸なことであった。さらにスリーマイル島の事故以降も一般社会への原子力の応用に肯定的であったことは、彼と左派の人々との関係に少なからず影響を与えた。このほか、ポール・エルリッヒによって発表された将来の見通しを受けて、多くの著作で人口管理の重要性を訴えている。晩年アジモフは、中産階級の人々が郊外に移動したことによるニューヨークの税収減少のため、生活の質が悪化したことを嘆いている。彼の最後のノンフィクションの著作は『 Our Angry Earth (怒れる地球)』(1991年、SF作家フレデリック・ポールとの共著)であり、この中で彼は地球温暖化やオゾン層の破壊といった環境危機について論じている。
アジモフは生涯に2度結婚している。最初の結婚はまだ大学院生だった1942年で、ガートルード夫人との間に2子を儲けたが1973年に離婚。同年にSF作家・心理分析医のジャネット夫人と再婚し、Norbyシリーズなどの共著を残している。
アジモフは1992年4月6日に没した。死因はヒト免疫不全ウイルス (HIV) によるものであったが、これは1983年に受けた心臓バイパス手術の際の血液感染が原因である。後天性免疫不全症候群(エイズ)が死因であったことは、彼の死から10年の後に出版されたジャネット夫人の自伝『 It's Been a Good Life (我が良き生涯)』で明らかにされた。
彼はSF界はもちろん、ロボット工学など現実の科学界にも多大な影響と貢献を残した。彼の栄誉をたたえ、 (5020)Asimov と名づけられた小惑星が存在する。また東京大学で2003年に開発された、起き上がり動作に特化したロボットが、彼の小説に登場するロボットに因んで「ダニール」と名付けられている。なお、本田技研工業の人型ロボットASIMOについては、偶然つづりが同じとなったが無関係である
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